読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

一人で生きていこうとすると、どこかで行き詰まる

自分は10代の頃から厭世的で、将来の夢は隠居したいだった。20代は、一生懸命ずっと働いててて、そんなこと考えてた時期もありましたねって、たまに振り返るぐらいだったけれど、30も半ばに来てしまって、自分の人生を振り返る時期に来てみると、孤独の中で頑張って目標を達成することも大事だけれど、それだけでは持たない時が必ず来るのだと感じている。今の自分のように。

人付き合いをなぜしなくなってしまったか考えてみると、お酒が飲めないのに、相手がお酒という方法でしかつながることを知らないこと、その場に呼ばれることが、お金を払って味わう苦痛な時間であったことがある。それで自分はそのまま人付き合いをせず、この年齢にまで来てしまった。

これからは、相手を思いやって生きていくようしよう、共同作業というつながり方で他人とつながっていこう、他人が困っていたら助けてあげようという気持ちが芽生えてきた。これに気が付かなければ、これからの人生さらに修羅道に落ちていくところだった。危なかった。死んだ後に気がついてもしかたがない。

自分が豊かにしたいと思って、初めて豊かになっていくのが人生だな。

仕事をすることでしか生きていけない人生を変えたい

また仕事をやめてしまった。これで何回目だろうか。自分は就職、退職、転職って何回も繰り返してきて、いわゆるジョブホッパーというやつで、検索すると転職市場で忌み嫌われると書いてある。ただ年齢が若かったこともあって、半年以上どこからも採用されないという状態になったことがなくて、別にジョブホッパーだろうがなんだろうが、就職には困らないことを知ったが、年を取るもので、これからもそうであるとは限らない。というか、徐々に厳しくなって、茹でられていることに気が付かなくて、茹で上がって死んでしまうカエルのように、どこにも就職できなくなってしまうのかもしれないなとは思っている。

仕事をやめてしまう理由として、自分の場合下記の上限と下限を行き来する。

  • その職場の仕事がほぼわかってしまい成長できないのので、別の職場に移動する(一番いいケース)
  • 職場の戦力になれず、体調を崩して辞める(一番悪いケース)

今回は、ほぼ下限で、潰されると思ったので、撤退と決めて、潰される前に辞めることができてホッとしている。でも、次どうしようかと考えてみると、就職という選択肢しか自分の中に思い浮かばず、そういう自分を変えたいと思って、就職の前に今回はBライフをやってみようか考えている。まだ情報あつめている段階で、実現するのは相当先になりそうだけれども。

体調不良になるトリガー

年齢の老いとともに、とにかく無理ができないっていうのは、よく感じる。睡眠時間が少し足りないとか、仕事中急げ急げって張り詰めることがあると、すぐ体がだるくなったり、憂鬱になったり、疲れているんだけれど、眠れなくなったりする。

自分には体調不良になるトリガーがはっきりしていることが最近わかってきて、まずこれをやったら必ず体調が悪くなるのが、性に溺れることだ。そういう行為をすると、確実に憂鬱と、体にとんでもないだるさが襲ってくる。そして体力が落ちているからなのか、慣れてしまったのか知らないが、そういう行為をしてもあまり気持ちよくない。あまり気持ちよくないのに、そういった行為をしてしまうのは、性に溺れることは手軽なのだ。インターネット上にはコンテンツが見きれないほど存在していて、ちょっと油断すると、すぐにそういったコンテンツにふれてしまう。

性は、熱中できる数少ない趣味の1つだったが、最近行為のあとにくる体調不良が半端ではなくなってきて、これは死ぬなっていう感覚がでてきたので自粛するようになった。これが、体調不良になるトリガーのもっとも大きなもので、あとは入浴しないとか散髪しないとか、不潔になることも結構くるけど、性行為ほどではない。外出しないとゆううつになるが、性行為ほどではない。性行為はだめだ。その後の体調不良に耐えれない。

人生を不幸にするものとして、性依存、薬物依存、ギャンブル依存、アルコール依存とか体調不良になるとわかっていても、その行為を行ってしまう依存症がある。

ギャンブル依存の人としゃべっていると、ギャンブルについてどうやったら勝てるか四六時中考えているので、必ずその人は財産がなくなって、生活が破綻していくのだけれど、知的に見えたりすることがあるのが不思議。

一番ダメなのは、薬物だな。慣れてくるとすぐにわかるようになる。ていうか、ろれつが回ってないので、だれでもすぐにわかると思う。薬物に溺れたら本当に終わる。性は依存の中でも軽めなのかな。やめてしまえば、体調不良になることもないわけだし。

未来をどういうふうに生きるとか、そんなことではなく、明日を、少しでも体調良く生きていきたいよ。

適応障害

職場の要求水準についていけないため、職場からのストレスを処理しきれず、体調が悪くなってしまうことである。絶賛適応障害中。神経がずっと興奮しているような感覚があり、呼吸がとても浅くしかできていないように感じる。自分が置かれている環境に適応できないから、(環境に)適応(できない)障害というのかな。職場だけではなくて、人生の適応障害だったら、生き方を変えないといけない時期ってことか。俺は、もう年も年だし、競争社会から抜けて生きようという体からのメッセージなのかもしれない。

ただ、自分が置かれている環境に適応できなくて、体調不良になるのは、関ヶ原の合戦中、お腹を下しまくっていた石田三成とか、北伐が成功しなくて、だんだん衰弱していった諸葛亮孔明とかも同じであったので、適応障害だから、能力がないとかそういうわけでもなさそうだ。

ストレスに対する対応方法を学ぶとか、ストレッサーから離れるとかが、適応障害の治療方法としてはあるのだが、関ヶ原をするなとか、北伐をするなと言っても、当人達は聞かないだろう。

適応障害は、宿命として背負って、生きている人たちが一定数いるのではないだろうかと思う。

精神安定剤としてのニコ生

進撃の無職〜40代で失業した男の日記

というFC2でブログを書いているくらげねこさんという方がいる。ブログとか、ニコ生をよく放送していて、こういったら失礼だけれど、自分も同じダメ人間として共感する部分があって、たまにブログ、ニコ生を見ていた。

氏の最近の記事に、ニコ生でリスナーに向かって会話すると精神的に安定するという記事があり、良いこというなと思った。一人暮らしで、しゃべる機会がほぼない自分にとって、ほんとそうですよねって、共感することが多くて。

走ったり、筋トレしたり、勉強しまくってたりしていても、どうしても、憂鬱になってしまうことがあって、そういうときにはニコ生っていう手もありかもしれないと思った。

悩みが出て行く時

サイドプランクで腹射筋を鍛えて、レッグレイズで腹筋下部と上部を鍛えると、呼吸を深くすることができる。呼吸を深くできるようにしてから走りに行く。走っている途中に、腹筋下部で呼吸ができる時がある。

この時、原理をよくわからないが、走っているんだけれど、走っていることを完璧に忘れる状態が来ることがある。自分の中に潜っているような感覚。この感覚がくると、悩みとか不安が整理されて、体から出て行く。仕事が嫌で行きたくないなあと思っていたら、やるだけやって駄目なら仕方ないと納得できている自分がいる。机の前でいくら悩んでいてもこういう瞬間は訪れない。走って、深い呼吸ができたときにだけ、悩みが整理されて、出て行く。

この感覚を知っている人は、悩んだ時に走るようになるんだと思う。

仕事をしていても、していなくても、変わらない一日を送る

ストレスに打ちのめされている状況なら、”朝、目覚める”ことの定義を変える。目覚めるということは、ランニングを始めるということにする。目覚めたは、ランニングが終わっただ。

ランニングが終わったら、着替えて朝食を取り、勉強を始める。生活に困っているなら、資格の勉強をしたらいいし、困ってないなら、自分の好きなことや、頭が働いているなと感じる勉強をする。

朝はランニング、日中は勉強だ。

そうしたらもう夜だ。夜は、睡眠の質を高めることだけをする。すなわち、PCや電子機器の電源を切る。入浴する。読書する。

これがストレスを跳ね返す一日だ。これを繰り返す。時に、猛烈にやりたくない日がくる。そういった時は絶好の経験値を稼ぐ時だ。そういう時こそ、やる。徹底的に脱力して、力を抜けば、やる気0でも動けることがわかる。

呼吸は、鼻から吸って、口から細い糸のような息を吐く。ヨガでいう火の呼吸だ。呼吸は常に火の呼吸になるように。

一日、一日、成長する自分を感じると、生きる気力が湧いてくるものだ。自責なんて無意味だ。ただただ、ストレスに効果のあることをし続ける。

自分はそれで生き残ってきた。